​大阪・関西万博 特別対談企画~石川県能登地域でのPHR活用~


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2025年6月24日、大阪・関西万博の公式プログラム「フューチャーライフエクスペリエンス(FLE)」にて、PHR普及推進協議会は、石川県七尾市でのPHR測定会の取り組みを紹介し、活動を行うお二人を迎えてのインタビューを実施しました。 

石川県七尾市でのPHR測定会の取り組みでは、2024年1月に発生した能登半島地震をきっかけに、PHRの重要性を見直す動きとして始まりました。PHR普及推進協議会は震災直後より石川県七尾市との連携を開始し、同年2月には「大規模災害時のPHRの役割に関する特別委員会」を設置。賛助会員の皆さまから提供いただいた機器を活用し、現地での測定支援やコミュニティづくりを継続しています。 


【話し手】

  • 阿部 達也氏  一般社団法人PHR普及推進協議会 専務理事/株式会社ヘルステック研究所 代表取締役 
  • 平山 敦士氏  一般社団法人PHR普及推進協議会 PHRサービスの質の維持・向上にかかる作業班大阪大学医学系研究科 助教   
  • 中村 斗星氏  エムジーファクトリー株式会社 事業支援部 

​■震災を経て、地域に寄り添う存在へ 

(阿部)石川県七尾市・田鶴浜で実際に活動を支援してくださっているお二人に、お話を伺っていきます。 

まずは、七尾市ご出身で、能登半島地震を経験された中村斗星さん。避難所での生活を経て、現在はPHR測定会の運営をサポートしてくださっています。 

(阿部)中村さん、七尾市はどんな町ですか? 

(中村) 七尾市は石川県の能登半島の真ん中にある町で、人口は約4万人です。和倉温泉が有名で、海と山に囲まれた、のんびりとした雰囲気のある町です。 

(阿部)2024年元日に発生した「能登半島地震」では、七尾市でも震度7を観測しました。そのとき、どのように過ごされていたのですか? 

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(中村)あの日は、和倉の海沿いにあるレストランでアルバイトをしていました。突然、立っていられないほどの大きな揺れに襲われ、すぐに津波警報が出たので高台へ避難しました。その後、夜になって田鶴浜の避難所へ移動し、家族と合流できました。 

(阿部)避難初日の避難所はどんな様子でしたか? 

(中村)津波警報も出ていたこともあり、500人以上の住民が避難してきました。全員が寝られるスペースもなく、車で寝られている方や、ペットがいて避難所に入れない方もたくさんいました。また、避難所では断水によってトイレも流れず、かなり厳しい状況でした。さらに、電気は通っていましたが、生活インフラはほぼ停止しており、避難所全体が混乱していたと思います。 

(阿部)中村さんは避難所で3ヵ月過ごされたんですよね。印象に残っていることはありますか? 

(中村)最初、避難所の多くの方は「支援を受ける側」という意識が強く、避難所の運営は一部の人に任せきりという雰囲気でした。そんな中、90歳のおばあちゃんが「力仕事はできないけど、お米炊きなら任せて!」と張り切ってくれて、皆から「お米レディー」とあだ名で親しまれるようになり、少しずつ「自分にもできることをやろう」という空気が広がりました。 

みんなで掃除や配膳などを分担するようきめて、それぞれが自分のできることを見つけて動くことで、避難所全体の雰囲気も少しずつ前向きになっていったと感じました。 

(阿部)現在はPHRの測定支援にも関わってくださっていますが、どういった想いで取り組まれているのでしょうか? 

(中村)避難所での生活を通じて、「できることは自分でやる」という感覚の大切さを実感しました。だから今は、地域の人が自分の健康を自分で管理するきっかけになればと思って、PHRの測定支援に関わっています。 

また、避難所でたくさん支えてもらった分、今は自分が地元の役に立ちたいという気持ちがあります。そして、私自身もこの測定会をきっかけにPHRの重要性に興味を持ち、取り組みを行うエムジーファクトリーに転職をしました。

■医療現場と患者さんをつなぐ“架け橋”として 

(阿部)続いて、大阪大学でPHRの運用支援や研究に携わられている平山敦士先生にお話を伺います。 

先生は普段、どのようなお仕事をされているのでしょうか? 

(平山先生)私は大阪大学医学部で教員をしており、学生や大学院生への教育を行う一方で、内科、とくに循環器内科の医師として外来や救急診療にも携わっています。 

(阿部)平山先生は七尾にも数回、足を運ばれており、現在はオンラインでの健康指導も担当していただいています。 

PHRに関わるようになったきっかけや、どんなところにおもしろさや可能性を感じているか教えてください。 

(平山先生)私は医師として、「病院の中の医療従事者」と「地域で暮らす住民」との間をつなぐ架け橋のような存在になりたいという思いを持って医療活動をしています。 

この数十年で、スマートフォンの普及や、血圧計・血糖測定器といった医療機器の進化が進みました。そうしたインフラを活用し、医師や看護師が一方的に情報を管理するのではなく、住民一人ひとりが自分の健康に責任を持ち、主体的に取り組める社会を実現したいという思いから、PHRに関わっています。 

(阿部)先生は地域の皆さんからも信頼されていて、本当に頼もしい存在ですね。 

​■PHRがもたらす変化と広がり 

(阿部)七尾市で月2回のPHR測定会が始まったことで、住民の暮らしや健康への意識にどんな変化が生まれましたか? 

(中村)一番感じるのは、健康管理に対する意識が高まったことです。歩数を気にするようになったり、毎日血圧を記録する方が増えました。スマートフォンで自分の数値が見えるのでモチベーションが高まり、参加者同士で数値を共有したり、自宅から歩いて会場まで来るようになった方もいます。測定会のあとに、みんなで体操やウォーキングを自主的に行うようになったことも大きな変化です。 

(阿部)仮設住宅にお住まいの方も多いと伺っていますが、そうした方々にも変化はありましたか? 

(中村)仮設住宅は「一時的な住まい」という意識が強いため、当初は住民同士の関わりも少なく、挨拶もほとんどなかったと聞いています。でも、定期的にPHRの測定会が開催されることで、ちょっとした会話を交わすことが楽しみになっているようです。参加者からの紹介も増え、今では毎回20人ほどが参加してくれています。 

(阿部)平山先生、オンラインの健康相談を通じて、そうした変化を感じる場面はありますか? 

(平山先生)昨年10月から測定会が始まり、半年以上続けてきたなかで、住民の皆さんが「自分の健康は自分で守る」という意識を強く持ち始めていると感じます。 

私は主治医ではないため直接の処置は行いませんが、血圧や歩数などのデータをもとに「来月はこんな取り組みをしてみましょう」とアドバイスを行っています。こうした対話を重ねることで、「自分でやってみよう」という意欲の高まりを実感しています。 

■震災を越えて、“自分ごと”になる健康の未来 

(阿部)最後に、中村さん。災害時や震災後において、PHRにはどのような可能性があると感じていますか? 

(中村)まず、測定会を通したコミュニティづくりの意義を強く感じています。また、毎日血圧を記録されている方が「お正月に孫が来てバタバタしていたら、その日だけ血圧が急に上がっていた」と話していて、環境の変化が体に現れることを実感されたそうです。震災時も不安や緊張から体調を崩す方が多く、避難所で倒れて病院に運ばれた方もいました。 

だからこそ、日頃から体の状態を「見える化」しておくことが大切だと思います。PHRがあれば、自分の変化に早く気づけますし、支援する側も体調の把握がしやすくなります。

(阿部)ありがとうございます。私が測定会に参加したとき、皆さんがコーヒーを飲みながら、自分自身の健康について談笑されている様子がとても印象的で、大切な時間・場所になっていると感じました。 

震災のような不安定な状況では、心身への負担が大きく、災害関連死のような事態につながることもあります。そうした中で、PHRは大きな支えになりうると、改めて実感しました。 

中村さんが築いてくれた「地域のつながり」と、平山先生が届けてくれる「専門家の支え」。この両輪がつながることで、支援されるだけではなく、自分の健康や暮らしを“自分ごと”として考え、行動できる。そんな「住民が主役」の未来が、少しずつ形になってきていると感じています。 

2025年6月の大阪・関西万博でのプログラムでは、石川県七尾市でのPHR測定会の様子を収めた動画も上映されました。 

現地の雰囲気や、住民の皆さんの取り組みの様子がよく分かる内容となっていますので、ぜひご覧ください。 

▶ 七尾市におけるPHR測定会の紹介動画