PHR座談会第3回【丹波篠山の事例から学ぶ】自治体が求めるPHRサービス

(左から)大山訓弘・樺島広子・吉田博人・堂東美穂・片山覚・石見拓・阿部達也(敬称略)

個人の生活に紐づく健康・医療・介護等に関するデータであるPHR(パーソナルヘルスレコード)を活用したサービスの価値を考える座談会、 第3回のテーマは「【丹波篠山の事例から学ぶ】自治体が求めるPHRサービス」です。PHRサービスが地域に浸透していくために押さえておくべきポイントとは、一体何でしょうか?
今回は、PHRサービス「ヘルスケアパスポート」の導入を進める兵庫県丹波篠山市の取り組みを題材に、医療従事者・行政担当者・PHR支援会社といった異なる立場の参加者が集まり、PHRへの期待や課題感、そして今後の可能性について意見を交わしました。

[参加者情報] 

【座長】

  • 石見拓  一般社団法人PHR普及推進協議会 代表理事/京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻 予防医療学分野 教授
  • 【座談会参加者】

    • 片山覚  丹波篠山市医師会 会長
    • 堂東美穂 兵庫県丹波篠山市 保健福祉部健康課 課長(保健師)
    • 阿部達也 一般社団法人PHR普及推進協議会 専務理事/株式会社ヘルステック研究所 代表取締役
    • 樺島広子 東和薬品株式会社 デジタルヘルス企画推進室 課長
    • 吉田博人 TIS株式会社 デジタルイノベーション事業本部ヘルスケアサービス事業部エグゼクティブフェロー


    聞き手】

    • 大山訓弘 一般社団法人PHR普及推進協議会 理事・広報委員長 /日本マイクロソフト株式会社 業務執行役員ヘル            スケア統括本部長

    テクノロジーの進化がPHRを後押しする時代へ

    片山覚  丹波篠山市医師会 会長

    石見:片山先生は、以前院長を務めていた兵庫医科大学ささやま医療センター時代に自治体と連携し、「ヘルスケアパスポート」導入の取り組みを始めましたね。先生がPHRに関心を持った背景を教えてください。

    片山:私が20年以上前からPHRに注目してきた理由は大きく2つです。

    1つ目は、「健康情報は果たして誰のものなのか」という本質的な問いです。医療情報は医療現場で発生しているので、そのまま医療機関が管理責任を負うと思われがちですが、そのデータを共有し、他者と活用していくことにハードルがありました。一方で、PHRは「個人の健康情報は個人が持つべき」という考え方なので、うまく仕組み化して展開できれば、個人情報保護に関する困りごとを解決する一手になると考えられます。

    2つ目は、日本における保険制度は治療をもとにした考え方なので、通常は発病後に効果を発揮します。しかし、私は1人ひとりが予防に対する意識を向上させ、その体制を専門家がサポートする関係性がもっと必要だと考えています。

    2010年頃、世界的IT企業数社がPHRの仕組みづくりに取り組みましたが、残念ながら大きくは前進しませんでした。しきり直して再スタートしている今こそ、大きなムーブメントが来るのではないかと期待しています。

    石見:なぜ今、手応えを感じているのでしょうか?

    片山:テクノロジーの進化により、スマートフォンやウェアラブルデバイスといったハードウェアの普及が影響していると考えます。健康状態を管理できるアプリなどを通じて、健康情報が1つにつながる仕組みが整い、健康情報を入力する手間が減ったことで、格段に個人が管理しやすくなりました。むしろデジタルの波に遅れているのは、医療機関の方ですね。電子カルテの普及率の低さを見ても課題感を否めません。


    PHR浸透には行政側のリテラシー向上が必要不可欠

    堂東美穂
    兵庫県丹波篠山市 保健福祉部健康課 課長

    堂東:保健師視点では、自治体の保健事業DXが一番遅れているように思います。たとえば、保健指導した際の患者情報はいまだに全て紙に記入しています。行政が一番浦島太郎状態なんです。丹波篠山市では、過去に某カルテアプリや母子手帳アプリの導入を試みましたが、住民の関心も低く、指導の立場である保健師自身がデジタル活用のイメージが持てずに困り果てるという結果となりました。あのときほど自分たちが納得していないものを、市民の皆さんに勧めることは絶対にしてはいけないと思ったことはありません。やはり、地域住民に浸透させていくには、まず自分たちが本気で勉強してリテラシーをあげないと意味がないと痛感しました。

    丹波篠山市は年間出生数200人ほどの地域なので、これまで対面コミュニケーションを大切にしてきた背景があります。しかし、国が令和8年から母子手帳の電子化を進めているように、私たちも社会の変化に対応しつつ、丹波篠山らしい保健事業DXに向き合っていきたいと思っています。

    片山:そのために悩ましいのが「資金」ですよね。つまり、誰がお金を出すのか。国なのか、企業なのか、個人なのか。その現状が見えづらい気がしますね。

    堂東:自治体予算は市民の税金から出ているので、やはり市民にとって本当に価値のあるものなのか、という点がディスカッションポイントになります。市のDX化計画の柱にはPHRの浸透も入っているので、社会の恩恵を少しでも多くの市民に返せるように取り組んでいきたいです。

     

    アカデミックな研究とサービス開発の両輪で、PHRを社会実装させる大学発ベンチャー

    阿部達也
    一般社団法人PHR普及推進協議会 専務理事/株式会社ヘルステック研究所 代表取締役

    石見:阿部さんはいかがでしょうか?
    阿部:ヘルステック研究所は京都大学とPHRの共同研究に取り組み、社会実装していくための大学発ベンチャーです。弊社が最初に扱ったPHRデータは、大学生の健康診断結果でした。これまで健康診断は各大学が独自で行っていたため、データを一律ではなかったのです。そこで、保健管理施設協議会と連携し、大学共通のデータ標準化とシステム開発に取り組みました。

    主軸である生涯PHRアプリ「健康日記」は、「健康データを自分で管理する」をコンセプトに、健康診断結果、ワクチン接種歴、お薬手帳情報、毎日の歩数など個人に関するデータを一元管理できるようになっています。自分の健康情報は他者にシェアすることもできるので、病院で受診するときにとても有効す。現在18万ダウンロードされ、毎日1万人以上の方が利用してくださっています。

    最近はヘルスケアパスポートと連携し、健康診断結果を郵送ではなくアプリで受け取ることができるようになりました。これによって過去から現在までの診断結果をグラフ化するなど、一目で比較・管理できます。利用料は検診機関からいただくので、ユーザーは無償のまま、より便利に「健康データを自分で管理する」ことができます。

     

    持続可能なビジネス拡大を目指すPHR事業会社のアプローチ

    吉田博人
    TIS株式会社 デジタルイノベーション事業本部ヘルスケアサービス事業部エグゼクティブフェロー

    吉田:TISは5年ほど前からPHRに注目し、ヘルスケアパスポートの開発運用を行ってきました。丹波篠山市は、医療機関単体ではなく自治体を巻き込んだ全国初のケースです。

    地域にとってより使いやすくするためには、アプリの機能追加が必要になってきます。原資があればスピード感を持って仕上げることが出来るので、資金問題はサービス拡大する上で非常に重要なポイントだと感じています。現在はPHRサービスの情報共有・利活用を推進すべく、積極的にさまざまな企業と連携していき、ビジネスをサステナブルなものにしていきたいです。

    石見:TISさんはエンタープライズ向けPHRサービスとして、早くから参入をされていますよね。ここ数年間の変化をどのように見ていますか?

    吉田:始めた頃はまだ医療機関側の理解も薄い印象でしたが、コロナを経て、個人が健康管理していく意識や行政の動きにも変化が出てきたように思います。他にも今回の座談会を主催しているPHR普及推進協議会ような団体が出来るなど、PHRを活用して「社会貢献+ビジネス」を考える風潮に変わってきました。

    3つのテーマでPHRの価値を検証し、丹波篠山らしいDXのあり方を模索

    樺島広子 東和薬品株式会社
    デジタルヘルス企画推進室 課長

    樺島:東和薬品はTISさんとアライアンスを提携し、現在丹波篠山市でヘルスケアパスポートを活用したPHRの価値創出に伴走しています。具体的には主に3つのテーマで取り組んでいます。

    1つ目は、「母子健康管理」。

    マイナポータルと連携し、妊婦健診から生誕後の健康情報まで記録されたデータを家族や医療機関に共有する仕組みです。まずはお母さんが管理しやすい環境を作ることで、ベストなユースケースを探っています。

    2つ目は、「生活習慣病管理」です。

    ヘルスケアパスポートに血圧手帳機能や心不全手帳機能、副作用状況記録などの項目を実装し、日々のバイタルの記録を取りやすくしました。市民が実際に使ってみて重要性を感じてもらう啓蒙活動が重要だと感じています。

    最後は、介護が必要な方に発行される『篠山つながり手帳』のDX化です。現在は紙冊子で運用しているため、患者さんが手帳を持参し忘れるリスクがあります。将来的にはヘルスケアパスポートで一括管理することで、医療と介護の連携がスムーズになり、必要なサポートをスムーズに提供できるようにしていきたいですね。

    堂東:市としても注力すべき3大柱が定まったことで、良い流れが来ています。その中でも『篠山つながり手帳』の電子化は、目的と効果を市民に示しやすく、また現場からの要望が一番高いので早急に進めています。行政としては、誰しもが理解し使え、人手不足の中でも業務を効率化できるものは価値を見出しやすく、予算獲得につながりやすいです。地域浸透までの道のりは簡単ではありませんが、未来に向けて何に先行投資していくべきかをきちんと見極めながら、着実に進んでいきたいです。

    樺島:東和薬品も地域の方々が納得しながら一歩一歩進んでいけるような運用・導入方法を模索し、ケースバイケースでしっかり伴走していけたらと思っております。

    石見:地域・行政を支援するPHRサービスを提供する事業者として現在抱えているビジネス上の課題はどんな点でしょうか?

    樺島:ヘルスケアパスポートのシステムを基盤にして地域課題を解決する仕組みをつくり、全国に普及させていきたいと思っています。                                            現在いくつかの地域でサポートを進めていますが、導入のハードルはなかなか高いのが現実です。なので、かかりつけ医機能としての活用を視野に医療機関にとっても使いやすいサービスにするなど、さまざまなアプローチを検討している最中です。地域に関わるステークホルダー全員(市民・自治体・医療機関など)に価値を感じてもらい、地域で長く使い続けていけるモデルを探していきたいですね。

    吉田:一方で、持続可能にするために誰が支援すべきかという問題もあります。サービス提供元の弊社なのか、東和薬品さんのような連携支援企業なのか、自治体なのか。現在はユースケースを作っていくフェーズなので弊社も東和薬品さんも伴走していますが、長期目線での資金元やスキーム構築は避けることができません。


    医療機関の温度差、標準化の必要性、費用負担。尽きない課題といかに向き合うか

    石見:実際の運用について、ユーザー(医療機関など)の反応はどうでしょうか?

    片山:現場によって非常に温度差があり、一律でシステムを入れるのはかなり困難だと考えます。ガラケーからスマホに乗り換えるのと同じで、最新をいち早く取り入れたい人、周りが使い始めたら腰を上げる人、普及が進んでガラケーだと不便になってきたから乗り換える人など、価値観はさまざまだからです。コロナを経て、遠隔での情報共有が必要だという認識は上がっているので、全事業所一律で導入を強制するよりも、まずは多くの病院で使いやすい最低限の標準化をプラットフォーム上で進め、それ以外は他アプリと連携して広げていく考え方をTISさんに提案しています。                                                   個々の温度差は否めないので、事業所ごとに課金いただくシステムは難しいかもしれません。そこで、TISさんから提案いただいたのが「地域人口あたりの課金」でした。地域に見合うメリットをつくれれば税金から資金を賄える座組なので、この話を聞いた時、今度こそ地域にPHRサービスが浸透していくのではないかと可能性を感じました。

    石見:地域に見合うメリットとは、たとえば具体的にどんな効果が見込めるのでしょう?

    片山:丹波篠山市のヘルスケアパスポートでは、メッセージ機能を追加しました。これによって、医師と患者のみならず、医師と各医療機関同士でもコミュニケーションを取れるようになりました。実際に認知症の患者を取り巻く医師と薬剤師と介護士が情報交換を行なったことで、サポートが明確になり、薬の飲み忘れ防止につながったという喜びの声も届いています。これまでは患者またはかかりつけ医止まりになっていた情報を関係者に共有できた結果、地域の横のつながりを生み出す結果となりました。

    PHRは短期的なメリットが見えにくい。だからこそ地域には先導するリーダーが必要

    石見拓
    一般社団法人PHR普及推進協議会 代表理事/京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻 予防医療学分野 教授

    石見:本当に丹波篠山市は良いロールモデルですよね。大きな自治体だとステークホルダーが多く、縦割りになってしまい、意思決定までに時間がかかる。かといって小さすぎると顔が見える関係がすでにあるのでPHRデータのやりとりにメリットを感じづらい。おそらく適当なサイズ感というのがあるように思えますね。

    吉田:丹波篠山市の場合、地域の基幹病院が1つというのもポイントですね。

    阿部:新しい取り組みを進める上で、地域にある医師会や歯科医師会、薬剤師会の三師会などが同じ方向にまとまっていくことは大事な要素です。その時に、片山先生のように意思を持ってリーダーシップを取る方がいる丹波篠山市は、非常に良い結果につながるのではないかと期待しています。 石見:日本人は標準化が苦手なんですよね。なので、医療機関の意見を集約化して、リーダーシップをとってくれる人材が必要です。落としどころを見つけてコンセンサスをとっていかないとなかなか前進しませんから。そこがうまく機能すると、一気に横展開しやすくなると思います。

    PHRの普及率をあげるキーワードは「他者との共有」

    石見:私はライフワークで10年以上、AEDの普及啓発に関わってきました。PHRよりも必要性が明確で、今やあらゆる場所で当たり前に見かけるAED設置ですら、最初のうちは自治体も企業もお金を出すことに抵抗があり、なかなか広がらなかったんです。

    人によって価値を感じるところはさまざまです。世代や環境によっても変わってくるかもしれません。そういうものだと認識しつつ、トータルの戦略やコーディネートが必要なのではないでしょうか。

    その点、丹波篠山市は、母子の健康管理 支援、生活習慣病の改善支援、医療と介護の連携支援3つのテーマを掲げ、優先順位を持って進めている戦略が素晴らしいですね。デジタルリテラシーが高い方が多い子育て世代へのPHRサービス提供や、生活習慣病におけるライフログ情報の医療との共有、医療と介護との連携は、短期的にもPHRの価値を感じてもらいやすいので、一人ひとりの積み重ねを経て、地域において様々な連携を実現するPHRサービスが必要だと思う人を増やしていくことに繋がると思います。

    片山:スマートウォッチを持っている人は、価値にすぐに気付きそうですね。予想以上のスピードで普及しているので、実は意外と地域社会側の準備は整ってきているのかもしれません。

    石見:そうですね。更にもう一歩、データを他人とシェアすることの価値まで理解が及ぶと良いですね。たとえば、時計代わりにスマートウォッチを身につけるだけでも、医師や家族は毎日健康データを取得できるので、適切なアドバイスやサポートをすることができますよね。誰かとつながると価値が生まれることの具体例を示せると今後大きく変わっていきそうです。

    吉田:スマホやスマートウォッチに慣れていないおじいちゃん・おばあちゃん世代も、小学生の孫から「おじいちゃんが元気で過ごしているか毎日アプリで見てるからね!」なんて言われたら、きっと真面目にやるんですよね(笑)。

    石見:そうでしょうね。孫とのコミュニケーションのために、ガラケーをスマホに変えてLINEを覚えたりしますからね。様々な人とのPHRの連携に価値を感じてもらえたら、ふるさと納税でこの基盤を応援してもらうのもいいかもしれません。

    吉田:確かに、PHR活用はふるさと納税の正しい使い方になりうるかもしれないですね。

    石見:台湾では、PHRの普及、アクティブ率を高めるために、「家族とPHRを共有できる仕組み」を導入しています。このように、日本でもPHRを誰と共有すると多くの人が価値を感じてくれるのか、戦略を考えながら、PHRサービスを地域に実装することが普及のために必要だと思います。

    片山:健康に関する関心は社会全体で上がってきているので、「家族」は一つ良い切り口になりそうです。

    石見:みんなにとって価値を感じてもらう方法を今後も模索していきたいですね。本日はありがとうございました。


    文:Omura Wataru